国際物理オリンピック2023参加記

 皆さん初めまして、高校3年の blackyuki です。7/9〜17にかけて東京で開催された国際物理オリンピック(IPhO)に参加してきたので、その参加記を書こうと思います。

 

 

IPhO とは?

 IPhO は高校生以下を対象とした物理の国際大会で、数学オリンピック(IMO)や情報オリンピック(IOI)など、全部で7種類ある科学オリンピックのうちの一つです。毎年7月頃に約10日間にわたって開催されます。10日間のうち試験は2日のみで、残りは観光や文化体験です。海外の選手たちとの国際交流も楽しめます。実質海外旅行です。2019年のイスラエル大会以降はコロナの影響で中止またはオンライン開催が続き、今年の東京大会が4年ぶりの現地開催となりました。参加国は約90カ国で、それぞれ5人の選手と数人のリーダーが参加します。リーダーは競技の前日に問題文を自国語へ翻訳したり、採点が終わってから得点の交渉をしたりします。また、各国に一人ずつ主催国側の学生スタッフが配置され、観光のガイドなど色々と面倒を見てくれます。

 

IPhO に参加するには?

 まず「物理チャレンジ」という国内大会を勝ち抜く必要があります。毎年5月から7月にかけて一次チャレンジがあり、上位100人が二次チャレンジに進出します。8月の二次チャレンジでは高校2年以下の上位12人程度が代表候補に選出され、翌年の3月までの半年間、秋研修や冬合宿、そして毎月出題される添削課題などの研修を積み、春合宿の代表選抜試験で上位5人が IPhO の代表に選ばれます。また、上位8人はアジア物理オリンピック(APhO)の代表に選ばれます。今年の APhO はモンゴルのウランバートルで5月に開催されました。

 

どういう問題が出題されるのか?

 実験問題と理論問題に分かれており、それぞれ5時間で解きます。実験問題は2つ、理論問題は3つの大問からなり、それぞれの大問は10点満点なので合計50点満点で評価されます。上位8%(約35人)の選手が金メダル、次の上位17%(約70人)の選手が銀メダル、次の上位25%(約110人)の選手が銅メダルを受賞します。つまり、半分の選手がメダルを獲得できます。過去の日本代表の成績は、金メダルが延べ19人、銀メダルが37人、銅メダルが20人です。最近は金1銀4や金1銀3銅1の年が多いです。ちなみに、中国や韓国やロシアの選手はほとんど全員金メダルをとっています。中国に至ってはこの15年間金メダル以外をとったことがないそうです。去年は総合成績1位から5位を中国が独占していました。

 実験問題は光や電気回路や振り子に関する問題がよく出題されます。理論問題は様々な分野から出題され、日本の高校生が学校では勉強しない弾性体や流体力学、相対論、量子論から出題されることもあります。いずれも物理をただ表面的に理解しているだけでは太刀打ちできない問題ばかりで、物理への深い理解が問われる良問が多いです。また、試験時間が5時間と聞くととても長いように感じられるかもしれませんが、問題を解いていると5時間はあっという間に過ぎてしまい、もっと時間が欲しくなるほどボリュームが多いのも IPhO の問題セットの特徴です。

 

日記

7/8

 この日は直前研修の日。代表5人で東京理科大学に集まって IPhO の過去問を解いた。2年間にわたる研修も今日で最後かと思うととても感慨深い。思えば冬合宿の実験研修で過去問を解いた時は先生方にヒントをもらいながら2人1組で問題に取り組んでも最後まで解き切ることはできなかった。それが今では一人でも難なく解けるようになり成長を感じる。

 僕らは近くのホテルに泊まらせてもらったが関東勢は家に帰らされてかわいそうだった。明日から待ちに待った IPhO が始まると思うと緊張してなかなか寝付けなかった。

 

7/9

 この日は結団式の日。APhO の結団式は狭い部屋で普段から知っている先生方からの応援の言葉があっただけだったのに対して、今日は想像していたよりも広く厳粛とした会場でマスコミの方たちもいて驚いた。

 結団式では会長や先生方、そして去年の代表選手からの激励の言葉と選手の決意表明があった。去年の代表選手である埜上さんの「あなたたちはチャレンジャーから日本を背負うオリンピアンになるのです。」という言葉が印象に残った。去年の代表選手たちから他国の選手との交流用のお菓子や折り紙、日本の国旗などを手渡された。

 終わった後はマスコミの取材を受けた。去年 IOI でインドネシアへ行った時はマスコミの取材などなかったため、日本開催を肌で感じた。もしかすると大会の様子などもテレビで放映されるかもしれないなーという話をしていた。

 IPhO の会場であるオリンピックセンターへは電車で向かった。主催国側の学生スタッフが各国に1人ずつガイドとしてつき、会場までの案内やその他諸々を担当することになっており、他国の選手たちは空港でガイドと合流し会場まで案内してもらっていたのだが、日本チームは現地集合だった。また当然のことではあるがガイドの方も日本人だったため、国際大会の第一のハードルであるところの「ガイドとの意思疎通」が難なくクリアできた。日本チームのガイドの中村さんに日本のガイドを希望したのかと聞くと、「どの国でもいいです」と答えたところ日本のガイドになったらしい。学生スタッフは外国語大学や上智大学の学生が多く英語が得意な学生が多いため、日本チームのガイドを希望する人がいないのも当然だなと感じた。

 会場に入ると四方から英語が耳に入り、急に異国の地に来たと感じた。APhO で仲良くなった韓国の選手たちと少し話した。

 不正を防ぐため、すぐに通信機器が全て没収された。APhO でイスラエルの選手が「ポケットに手を突っ込んだ時の感触が寂しい」と言っていたのを思い出した。選手たちは4日後の理論試験が終わるまで外界から隔離されることになった。

 記念撮影のあとは立食パーティーがあり、お菓子やジュースが提供された。APhO で仲良くなったタイの選手やベトナムの選手と話したり、APhO には参加していなかったブラジルやラトビアの選手と仲良くなったりした。ブラジルの選手は2日かけて日本に来たと言っていた。お疲れ様です…

 日本の学生スタッフは僕の知り合いも多く、第2チャレンジでお世話になったリトアニア大会代表の粟野さんや同じくリトアニア大会代表で APhO/IPhO ともに金メダルを獲得した楠元さん、APhO で随行員として一緒にモンゴルへ行った竹中さん、そして僕が高一のときに物理研究部に勧誘してくださった2つ上の先輩の稲井さんがいらっしゃった。稲井さんはロシアのガイドだったが、ロシアの選手は全員気候のせいでダウンして部屋で寝込んでいたそう。その頃の東京の気温は35度を超えていたため、無理もない。

 宿舎の部屋は一人部屋でベッドと机のみが置いてある簡素なものだった。所々に談話室があり、部屋が近かった日本・ドイツ・カタールの選手がその談話室によく集まっていた。

談話室の様子

談話室の様子2

7/10

 この日は開会式の日。朝食は朝7時からだったが、スマホは没収されていたため自然光で目覚めるしかなかった。当然犠牲者が出るため、前日の夜にドイツの選手たちも含めて朝どうやって起きるかの作戦会議が行われた。結局最初に起きた人が近くの部屋の扉を全部ノックしてまわることになった。僕は朝起きるのが苦手なため、毎日誰かのノックに起こしてもらっていた。

 朝食会場はかなり混んでいて、とても長い行列ができていた。行列の幅が狭くなる食堂の入口付近のところで行列の進む速さが遅くなるのを見て、JPN1 が「流量保存則(管の中を流れる水の流速が断面積に反比例するという物理法則)に反してる」と言っていて面白かった。

 開会式では小林誠先生や文部科学大臣からのお言葉の後、選手の紹介が行われた。各チームが順番に壇上に上がり、国旗を掲げたりお菓子を投げたりする。ウクライナのチームが壇上に上がった時はやはり一番大きな拍手喝采が起きた。日本チームは主催国だから何をやっても許されるという謎理論のもとで、日本チームは壇上でちょっとしたパフォーマンスをすることにした。けん玉初心者の僕はただ大皿に乗せるだけでは映えないと思い空中ブランコに挑戦したが、盛大に失敗した。隣では JPN5 が灯台を成功させていた(本当は手で押さえて誤魔化していたらしい)。後で聞いたところによると、この様子が NHK で放送されていたらしい。けん玉を盛大に失敗することで全国ニュースデビューを果たした。

開会式の様子

開会式の様子2

 開会式の後は自由時間だった。ガイドと一緒に渋谷あたりを散策していた他の国の選手たちもいた(韓国の選手たちはメガドンキに行ったらしい)が、僕らはいつでも渋谷に行ける上、外が異常に暑かったため談話室で過ごすことにした。特にすることもないので、今までの実験研修やオシロスコープの使い方などの復習をしていたところ、談話室にチェコの選手が一人でやってきた。なぜ一人なのかと聞くと、他の選手は観光に行ったと言っていた。IMO2022と書かれたTシャツを着ていたので、去年数オリに出場した選手だと分かったが、よく見るとネームタグの色が僕ら選手のものと違っていて、IMO2023 participant と書かれていた。実は偶然今年の数オリも日本(千葉)で同時期に開催されていたのだ。あれ…?もしかして IMO の選手が IPhO の会場に乱入してきただけなのでは…?と思ったが、その IMO のネームタグをめくると IPhO のネームタグが出てきた。どうやら IMO の試験自体は既に終わっていて、観光や閉会式を放棄して途中から IPhO に来たらしい。ただの天才だった。

 

7/11

 この日は実験試験の日。僕は高三になってようやく緊張に慣れてきて、大事な試験の前日ほどよく眠れるようになった。この日もよく寝れた。いつもより早く目が覚めたので外で少し走っていた。APhO の実験試験は壊滅的な出来だった上、僕はもう高三で次がないため、今まで培ってきた実験技術は出し惜しみなく全部今日のためにつぎ込まないといけないなー、などと考えながら走っていた。と同時に、今頃学校で同級生たちが期末の勉強頑張ってるんだなー、などとも考えていた。とりあえず今考え得る最高のコンディションで試験会場に入った。売店の必勝ハチマキをつけている外国選手が多かった。

 試験が始まった。一問目は力学と電磁気学を組み合わせたような問題で面白そうだった。途中少し引っかかった問題があったからか、解き終わった頃には既に4時間が経過していたため、急いで二問目にとりかかった。二問目は複屈折に関する光の問題で、研修で取り扱ったことがあったためラッキーだと感じた。とりあえず1時間で回収できる点数はすべて回収したところで試験が終了した。

実験装置(第二問)

 感触としては例年に比べやや難しめで、自分の点数は高く見積もると9+3=12点、低く見積もると6+2=8点で、恐らく10点ぐらいだろうと予想した。他の日本選手に聞いたところ3+7や2+8といった点の取り方をしている人が多く、一問目に粘着したのは自分だけだったが、皆10点付近だったため安心した。スイス代表の日本人選手とも話した。彼は中学からスイスに住んでいる日本人で、日本語の問題文を申請したが結局英語の問題文しか配布されなかったらしい。最初日本語で話しかけられた時はかなり驚いた(まさか海外の選手に日本人がいるとは思っていなかったので)。ロシアの選手たちは全部の問題を解き終わったらしい。恐ろしい(そもそも中国や韓国やロシアは5金がほぼ確定しているので眼中になかったが(?))

 昼食の後は科学技術/文化体験があった。文化体験は茶道、書道、合気道から一つ選ぶというものだった。僕らは、日本選手でも経験した人が少なかった茶道を体験してみることにした。茶道を肌で感じてきた。

文化体験の様子

 他にも、けん玉やお手玉、コマなども用意されていた。外国の選手たちがお手玉でバレーボールをやっていたので、自分もやってみた。結構面白かった。

 夜はドイツの選手やスウェーデンの選手と談話室でお菓子を食べたりしていた。みんなパチパチパニックに興味津々だった。ドイツの選手に「日本のお菓子は個包装されすぎだ。袋を開けるとまた袋が出てくる。まるでマトリョーシカみたいだ。」と言われた。たしかに言われてみるとそうだな、と思った。ドイツから持ってきたハリボーを僕に渡しながら、日本だとグミも個包装されてるんでしょと言われた。自分は英語で意思疎通をとるのが精一杯なのに対し他のどの国の選手も10秒に一度ぐらいジョークをぶっ込んできて、自分はまだまだだなと感じた。

 

7/12

 この日は観光と縁日の日。観光地の選択肢は「浅草・上野」「お台場」「横浜」で、日本チームはお台場のジョイポリスに行くことになった。待ち時間にイタリアかどこかの選手が太鼓の達人で遊んでいて上手だった。さて、ジョイポリスに入ると絶叫系とホラー系のアトラクションしかないことが判明し、JPN2 の別行動が確定してしまった(絶叫系が苦手なため、モンゴルで遊園地に行った時も他の7人がジェットコースターに乗ってる間一人で迷路に行ってた)が、実は JPN3 も苦手だったことが判明した。結局二人はカフェで明日の理論試験の勉強をして待っていた。最後に全員で逆転裁判に挑戦したが、集合時刻に間に合いそうになかったため、ストーリーを読まずにひたすら「次へ」ボタンを連打し、四択問題を勘で答えるという別ゲームになっていた。結局クリアできなかった。

 オリンピックセンターに戻ると縁日が行われていた。お祭りでありがちなラムネ、たこ焼き、かき氷、輪投げ、射的、スマートボールなどの屋台が用意されていた。スマートボールの軌道を物理的に解析したいみたいな話になったが、結局運ゲーという結論になった。やっぱり海外の選手たちはみんなテンションが高く、めっちゃ盛り上がっていた。あと盆踊りをみんなで踊った。

盆踊りの様子

 次の日は理論試験だったため夜は早く寝た。

 

7/13

 この日は理論試験の日。この理論試験が終わるともう当分物理の問題を真剣に解くということはなくなってしまう。

 実験試験の日と同じように会場に入り、同じように試験が始まった。過去の大会では問題の印刷のトラブルで試験開始時刻が遅れ、結局次の日に持ち越されたということもあったそうだが、やはり日本開催ということもあってか今年は特に何のトラブルもなく時間通りに試験が行われた。まず一問目を読む。ブラウン運動や拡散係数に関する問題だった。誘導が丁寧だったため手を止めずに解き進めることができた。最後の小問だけよく分からなかったため適当に解答用紙を埋めた。ここまでで110分程度。試験全体が300分なのでちょっとペースを上げなければならない。次に二問目を読む。原子核と惑星に関する問題だった。途中で相対論の話が出てきたところあたりから頭がぐちゃぐちゃになってしまった。何も進捗が生まれないまま試験時間が残り100分になってしまったので三問目に移った。三問目は水の表面張力の問題だった。ちょうど昨日日本の選手の間で、コインを2つ水面に浮かべると引き付け合う現象をEテレの「考えるカラス」という番組で見たという話を JPN3 がしていたのだが、その現象を物理的に説明する問題が出題されたのでかなり驚いた。問題自体はかなり簡単で、60分程度で解き終わった。この時点で二問目を除く明白な失点は一問目の最後の1.5点だけだったため、二問目で点数を取り切ればかなり高得点を狙えることに気づいた。残り40分あったので二問目に戻り、もう一度問題を整理し直すとようやく理解できた。急いで問題を解き進め、最後の問題を解き終わった時には残り30秒とかだった。

 例年に比べかなり簡単目の問題だったため、少しのミスが命取りになってしまうと感じた。試験後に聞くと他の日本選手たちもかなり点数が取れている様子だった。話しているうちにミスがいくつか発覚し悲しい気持ちになっていたが、考えてもどうしようもないので頑張って気持ちを切り替えることにした。試験会場の各座席に用意されていた、試験官を呼ぶための HELP と書かれた旗を持ち帰っても良いと言われたので、とりあえずそれを振って気を紛らわせていた。

試験終了

 試験の後はメディアの取材を受けた。どうやら「IPhO 日本代表に密着しました!」みたいな動画が YouTube に上がるらしい。インタビューを受けた経験はなかったものの話し始めるとなんとかなるのではと楽観視していたが、現実はそこまで甘くなかった。試験後で頭が疲れていたのもあって、最後にあなたにとって物理とは何ですか?みたいなことを聞かれた時に本当に何も頭に浮かんでこず心が折れてしまった。テレビの前であんなにスラスラと言葉が出てくる人を心から尊敬した瞬間だった。

 試験がすべて終わったため、没収されていた通信機器が返却された。宿泊棟に戻って談話室で雑談していると、ドイツの選手が「通信機器が返却されてからどの国の選手もスマホに夢中になっている。これなら最終日まで返却しなければ良かったのに。」と愚痴を言いながら、彼はノートパソコンでゲームをしていた。

 午後はスポンサー企業のブースへ足を運んだ。カシオなどの有名企業のブースが並んでいた。カシオのブースで AI を使った最先端ピアノが用意されており、曲調に合ったイラストが画面に表示されるというものだった。AI もすごかったが、JPN5 が今流行りの「アイドル」を弾いていてめっちゃ上手かった。

 この日は試験が終わった解放感もあり夜遅くまで起きて雑談していた。

 

7/14

 この日は観光と講演会の日。日本チームは浅草・上野へ行った。浅草では IMO の帽子を被ったミャンマーの選手たちに偶然出会った。おみくじを引くと5人中(僕を含め)3人が凶で面白かった。上野では国立科学博物館へ行った。物理のゾーンで色々盛り上がった。参考書などでよく見る実験が多く紹介されており、そのうちのいくつかに関しては実物で見るのは初めてだった。僕は中学生の時に一度訪れたことがあったが、その時は展示を見てもその背景については何も知らなかったので成長を感じた。浅水波の有名な公式 v=√(gh) を実演する実験もあった。

展示に興味津々なIPhOerたち

 午後は講演会があった。ノーベル物理学賞の受賞者である梶田隆章氏と天野浩氏による講演で、前半はニュートリノ振動とスーパーカミオカンデに関する講義、後半は自分の興味を追求するための方法やその重要性に関する講義で、いずれもとても興味深いものだった。

 夜はディナーパーティーがあった。寿司が提供されていたが、選手用の会場は一瞬で寿司がなくなってしまったため、皆でリーダー用の会場に行って寿司を食べることにした。日本チームのリーダーたち(多くが大学の教授)は日本選手の答案を既に見ていて、大体の出来を知っているため話すのが少し怖かったが、あまりの出来なさに絶望しているといった感じの表情ではなかったため安心した。

 談話室に戻るとカタールの選手たちが宅配ピザを食べていた。どうやら寿司を食べることに抵抗があったらしい。生魚を食べるなんて信じられない!と言っていた。それに、宅配ピザのバイクの人が英語を話せなかったことが衝撃的だと言っていた。”five hundred” を3回連呼してようやく伝わったらしい。このカタールのユセフという選手が、僕がこの大会期間中最も話した外国選手だと思う。彼はエジプトの出身だが彼以外の4人の選手は全員石油王の家系で金銭感覚がバグってると言っていた。JPN5 が持ってきただるま落としを使ってユセフとだるまカーリング( JPN2 が考案した遊びで、ユセフが「Koki」と名付けた)で遊んでいると、イギリスの選手と韓国の選手がやってきた。僕は海外の選手に配る用に進撃の巨人のクリアファイルを家から持ってきていたのだが、誰に配れば良いか分からず、調査兵団Tシャツを着ていたものの誰も気づいてくれなかったため、とりあえず談話室にクリアファイルを並べて置いていると、偶然そのイギリスの選手と韓国の選手が進撃の巨人のファンで、クリアファイルを見て興奮していた。欲しかったら持って帰ってもいいよと言うと「これずっと欲しかったんだよ」と言ってめっちゃ喜んでくれた。クリアファイルには色んなキャラクターが描かれていて、ファイナルシーズンのエレンの姿を見て「このキャラクターだけ分からない。これは誰?」と言われたので、「ファイナルシーズンから出てくるキャラクターだよ」とだけ言って秘密にしておいた。やっぱり海外の選手が日本の文化に興味を持ってくれているのを見るとうれしかった。ちなみに盆栽が大好きだというロシアの選手もいて、僕より詳しかったため、盆栽について色々聞かれたものの当然ではあるが何も答えられなかった。

寿司!

7/15

 この日も観光の日。観光地の選択肢は「箱根」「筑波」「日光」「鎌倉」で、日本選手団は箱根へ行くことになった。箱根の有名な黒たまごを食べた。どうやらこれを食べると寿命が七年延びるらしい。そのあとも色々観光を楽しんだ。バスでは JPN2 の学校祭の動画を見せてもらった。JPN2 が(実質)主演をやっていて最後の方の「物理で世界と戦わなきゃ」というセリフがめっちゃかっこよかった。

箱根での食事

 宿舎に戻ると、体育館が開放されているという情報を聞いたのでみんなでバスケをしにいくことにした。僕はケニアの選手と 1on1 をした。めっちゃ強かった。その後は韓国の選手に韓国のシューティング練習を教えてもらった。彼も映画「THE FIRST SLAMDUNK」を観たらしく、その話で盛り上がった。

体育館の様子

 この日メダルの各色のボーダーが発表された。銀のボーダーが25.2点で金のボーダーが35.6点だった。とりあえず日本代表全員銀以上がほぼ確定して嬉しかった(注意事項に「答案は必ずボールペンで書くこと」とあったのを無視してシャーペンで書いた人が2人(僕を含む)いたため、もしそれで0点になってたら話は別だが)。JPN1 は金のボーダーを聞いて「あこれ俺行ったわ。さすがに。」と言っていた。僕は何度計算しても34点から37点の間を行ったり来たりしてて辛い気持ちになっていた。銀の幅が10点もあるのに金と0.5点差で銀とかだったらかなり悔しいなとか考えていた。

 昨日進撃の巨人のクリアファイルをあげたイギリスの選手がお土産を渡しに来てくれた。その後一緒にけん玉をして遊んだ。ユセフはカタールのリーダーから電話がかかってきて自分の点数を聞かされてしまったらしい。「点数聞きたくなかったからずっとリーダーから逃げてたのに...」と言っていた。彼は18点で銅メダルだった。カタール史上初のメダルだったそうで、自分のことを「カタール史上一番の天才」と言っていた。ちなみに彼のチームメイトの点数は2点4点4点4点で、全部合わせてもユセフの点数に及ばなかった。リーダーから「2点ぐらい寝てても取れるわ」と呆れられていたらしい。最初2点と聞いたときに実験の点数だと思い込んで「実験が2点で理論は何点だったの?」と聞いてしまい「いや合計で2点だよ」と返された。失礼なことをしてしまった。本人はその場にいなかったので良かったが。

 自分の点数について考えていると全然寝れなかった。多分この日が一年で一番メンタルが不安定な日だった。

 

7/16

 この日が最後の観光の日。晴天の中、鎌倉へ行った。僕が昔からずっと行きたかった「スラムダンクの聖地」に行くことができた。この日も普通に観光を楽しんだが、その裏でリーダーたちは採点交渉をしていた。リーダーが自国の選手の答案を見て採点ミスを指摘したり、部分点の交渉をしたりする。僕はボーダー付近にいるので、メダルの色がこの採点交渉にかかっていると言っても過言ではない。実際に採点交渉でメダルの色が変わったという先輩も多く知っている。

スラムダンクの聖地

 この日も夜はバスケをした。日本対アメリカで 3x3 をやった。めっちゃ楽しかった。やはりアメリカは本場ということもあってみんな強かった。一瞬のうちに2時間が過ぎてびっくりした。

 外国の選手たちと交流できる最後の夜なので、体育館から戻った後は色んな国の選手たちと話してお土産の交換をした。外国の選手がマキマさんの絵を描いててめっちゃ上手だった。海外では結構チェンソーマンが人気らしい。

マキマさんの絵

7/17

 この日が閉会式の日。APhO の時は閉会式の会場の座席がメダルの色ごとに用意されていて会場に入ると自分のメダルの色が分かってしまうシステムだったので、緊張してなかなか会場に入れなかったが、実際に入ってみると今回はただ国ごとに席が用意されているだけで少し安心した。結局メダルの色が発表されないまま問題の簡単な解説会が始まった。いくつかの問題の答えが発表されていき、実験の第一問で新たなミスが発覚しこの時点で銀を確信した。第二問の平均点と最高点がかなり低かったため、実験の第二問に時間を費やしていた僕以外の4人も少し厳しそうな状況だった。

 メダリストの発表が始まった。まず、優秀賞の選手の名前がスクリーンに映し出された。早くてあまり見えなかったが多分日本の選手の名前はなかった。次に、銅メダリストが名字のアルファベット順に発表されていった。呼ばれた選手は一人ずつ壇上に上がりメダルを授与された。ユセフの名前も呼ばれていた。日本の選手は誰も呼ばれなかった。一安心。次に銀メダリストの名前が次々と発表されていった。日本選手の中では、まず JPN5 が呼ばれた。次は JPN1 の番だったが彼の名前はなかった。宣言通り金メダルを獲得したのだった。かっこいい~ そのすぐあとに JPN2、JPN3 の名前が呼ばれた。 残るは僕一人だったが、S で始まる名字の人が多くなかなか順番が来なかった。この時点で多分僕の心拍数は200を超えていた。ようやく T に入った。

”TAN Pin Che (Singapore)”

…頭文字が似てる!これだけで僕の名前が通り過ぎたのかどうか判断する冷静さは僕には残っていなかった。

”TCHOTASHVILI Dachi (Georgia)”

あれ...?僕の名前は呼ばれなかった。あまりの衝撃に僕はその場で泣き崩れてしまった。人生初の嬉し泣きだった。昨日バスの中でワードウルフをしててお題が「うれし泣き」だった時に「明日これをする人はいなさそうかな~」とか言ってたのに結局自分がしてしまった。甲子園とかオリンピックとかで涙を流す人の気持ちが理解できた瞬間だった。次の金メダリスト発表で無事 JPN1 と僕の名前が呼ばれた。結局壇上に行っても涙は止まらなかった。僕の一つ前に呼ばれた、昨日一緒にバスケをして仲良くなった韓国の選手がおめでとうと言ってくれた。韓国の選手たちは皆金メダルだった。壇上で小林誠先生から金メダルを授与され、その後記念撮影があった。総合1位はやはり中国の選手で、1位〜4位と6位を中国が独占していた。中国・韓国・ロシアが5金、アメリカが4金1銀、ルーマニア・台湾・インドが3金2銀で日本の国別順位は8位だった。

閉会式の様子

 その後のランチパーティーで外国の選手たちとの別れを惜しんだ。全ての行程が終わったので日本選手みんなでボウリング場へ行った。僕はガターを連発してしまった。

 宿舎に帰ると NHK のネットニュースに閉会式の様子と取材の動画が上がっていた。どうやらテレビでも放映されていたらしく、何人かの友達が LINE で祝福の言葉とともに動画を送ってくれた。この日宿舎に泊まったのは日本の遠方勢3人といくつかの国の選手たちだけだった。

 

7/18

 この日は文部科学省訪問の日。

 10日間お世話になったオリンピックセンターに別れを告げ、文部科学省で永岡文部科学大臣にお会いした後、僕と JPN1 は読売新聞の取材を受けた。「アジア大会で銅メダルだったのに国際大会で金メダルを獲れたのは素人目では急成長のように思えるんですけど、」と聞かれた。おっしゃる通りだと思った。自分が一番驚いているので。正直この時点でも金メダルを獲ったことが信じられていなかった。

 そのあとみんなでラーメンを食べに行った。日本開催だったため国際大会でありがちな「10日ぶりの日本食最高!」は体験できなかったが、全ての緊張から解放されて食べたラーメンは普通に美味しかった。

大会でいただいた戦利品たち

 

最後に

 この大会への参加で得られた気づきが3つあります。

 まず、外国人に対して持っていた印象が変わりました。僕は今まで欧米人はみんな陽気でテンションが高く、中東の人はみんなターバンを巻いていて、中国人はみんな声が大きくて、、、といった適当なイメージを持っていました。けれど、実際に外国の選手たちと話してみると、欧米人の中でもあまり人と話すのが得意でなさそうな選手もいたし、中東の選手たちは開会式で正装を着ていただけで普段はTシャツ短パンだったし、中国の選手たちはおとなしい性格の選手が多かったです。よく、相手のことを知ろうとしないから人間は戦争を始めると言いますが、これは本当にそうで、何かに対する負の感情はただそれについてちゃんと理解していないだけなのではないか、ということに気づきました。韓国人はあまり日本のことをよく思っていない人が多いと聞いたことがありましたが、僕が話した韓国の選手たちはみんなとても優しく接してくれて、BTS の話やスラムダンクの話でとても盛り上がりました。考えてみれば当たり前のことかもしれないですが、結局使っている言語が異なるだけで外国人との間に本質的な違いはなく、外国人に対するイメージは傾向的なものにすぎず、国籍で人を判断するのは短絡的だということを実感しました。

 次に、世の「すごい人」に対する見方が変わりました。オリンピック選手とか、ノーベル賞受賞者とか、アーティストとか、あとは僕が尊敬する友達とか、僕は今までその人たちに対して漠然と「すごい人だな」という感情を持っていましたが、ようやくその人たちの何がすごいのかが分かりました。彼らはある特定の何かにかける熱意と努力量が他の人たちと違ったんです。もちろん誰もが八村塁と同じ努力量を積めば八村塁になれるかと言われるとそうではありません(身長とかの先天的な側面もあるので)。けど、もし八村塁が努力していなければ今の八村塁は絶対に存在してません。僕は今まで中国の強い選手たちは自分とは明確に違う存在なのだと思っていました。脳の構造が違うだとか遺伝子が違うだとか自分で適当な理由をつけて、自分は彼らには勝てないと決めつけていました。けれど、実際に中国の強い選手たちと話しているうちに、自分が中国の選手たちに勝てない理由はもっと別のところにあると気づきました。自分が2年間趣味で物理に取り組んでいただけだったのに対し、彼らは中高の間ずっと、IPhO に出場することだけを考えて、過去問を解き、合宿に参加し、仲間と切磋琢磨していた。たったそれだけの違いだったのではないかと、僕は感じました。彼らとの間に明確な境界があったのではなく、努力量という連続的なパラメータで彼らが自分より上回っていたのだと気づいたとき、僕が今まで「すごい人」としか思っていなかった人たちは本当に尊敬に値する人なのだな、と感じました。たった2年間趣味の延長として物理に取り組んだだけの僕でさえ、物理をやめたいと思ったことは数えきれないです。他の全てを犠牲にして一つの分野を突き進めることは決して簡単なことではないのに、それをやり遂げる人たちを心から尊敬するようになりました。

 そして最後に、人とのつながりの重要性に気づきました。僕がこうしてIPhOに出場し貴重な体験をできたのも、本当に多くの方々の支えによるものです。まず、僕を物理の道に導いてくださった物理研究部の先輩と同級生たち。そして、研修や毎月の添削課題を通して僕に物理を教えてくださった委員の先生方。さらに、いつも近くで見守ってくれた家族や親友たち、そして4年ぶりの実地開催を実現してくださった大会の関係者の方々、、、などなど自分は色んな人たちの支えの上で生きているということを改めて実感させてくれた大会でした。この場をお借りして感謝申し上げます。

 

 さて、長くなってしまいましたがここまで読んでいただきありがとうございました!この参加記が、少しでも多くの後輩が自分の趣味を追求するきっかけとなれば幸いです。

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